ハクダイのカカク
Hakudai no Kakaku
近代の復讐?
意味不明?
我々は便利で快適で平等な社会を目指してきたし、また現在も目指しつつある(多分・苦笑)
そうなんけどさあ・・・・どうもヒッカルンダヨナア
・・・・

近代とは何か?
技術(テクノロジー)に裏付けられた平等、多数決原理による平等の時代

人類に明るい未来はあるのだろうか?

いわゆる「ストーリー・お話」は、常識とのズレを基本に成立している。
でも、使用している座標軸そのものは同じものを使っている。
その座標が少し右だったり下だったりすることで、「表現」として成立するわけだ。
この座標軸の種類が丸っきり違ってたり、原点がズレテイタリすると、
他者との意思疎通は永遠に不可能なわけです。

というわけで、読後感が幾分、スッキリしないかもしれない(苦笑)マンガを
幾つかピックアップしてみました。
ですが、エンターテイメントとして十分に成功してるものばかりです(苦笑)。

ねこぢるまんじゅう・ねこぢる
 猫の兄弟、「しろ太」と「くろ太」は、人間の「おじいさん」に育てられている。おじいさんが死んで、二匹は「おかあさん」を探す旅に出るが・・・・二匹は旅先で、悪意に満ちた人々、善意に満ちた人々、奇怪な生き物など、に出会い、怪しげな経験をし、そして、幸福な時間を過ごしたりする。

 この作品世界は何と表現したらよいのだろうか?初出がヤングサンデー増刊号だけあって、「一般性」は十分にあるのだと思うが、こんな作品は誰にでも描けるものでは無い。雑誌の読者層を考慮して、それなりに「世間」に配慮して描いているようには思いますが。

  この世は生きるに値するのか?

  作者の「ねこぢる」氏は31歳で夭折しただけに、そんな陳腐なセリフも重く響く。

 しろ太(外観は白色)とくろ太(黒色)の性格は正反対です。第一話で、育ての親である「人間のおじいさん」が彼らを学校(人間の)へ入学させようとした時、くろ太は学校へ通いたいが、しろ太は「行きたくない」と、常にクールでドライです。猫だから、当然、人間の学校には入学できないんですが、人間のおじいいさんは、「わしのかわいい孫」と言い張ります。

 笑えるし、ほのぼのしてさえするのですが、ホントウは、「悲しい作品」かもしれません。
  最強の猫マンガでしょう。


「ねこじるまんじゅう」
「著者」ねこじる
文藝春秋社
ビンゴ・コミックス
A5版
1998/10/25 第1刷
間引き ・ 藤子・F・不二雄
 愛・あい・アイ・・・・・・ポジティブな印象を持つ言葉ですが、人口調節のための「単なるシステム」なのかもしれない?という、ゾットするようなテーマのSF短編。

 近世に、キリスト教が日本に入って来たとき「愛・神の愛」という言葉を、いかに日本語に置き換えるか?という問題があったことを、坂口安吾の著作で読んだことを思い出しました。

人類の創造を超える、何か大きなモノ・大きな意思が「確かに在る」と、人類は有史以来考えてきたのかもしれませんが、100年前の人類から見ても、工場技術の進歩により「奇跡」が次々と起こっているのが、「現代」という時代でしょう。

どの科の動物にも、全体個数には限界がある
人類誕生以来、百万年近く、人類の人口増殖率は0.001%/年だった。
だが、数%になっているのが、ここ100年である。

作品に登場する配給制度と食券、そして「カロリー保険」。配給制度と食券は、F先生の世代なら、嫌な思い出として忘れ得ぬものになっていただろうし、保険金もらっても、食べないことには生きていけませんから、カロリー保険は、現実味あります。
どちらも今後、現実にならないことを祈るばかりです。(苦笑)


藤子不二雄異色短編集@
ミノタウルスの皿
著者「藤子・F・不二雄」
小学館
ゴールデンコミックス
新書版
S52/12/15 第1刷
所有(画像)はS56年の第3版
フリージア・松本次郎


「敵討ち法」なるものが存在し、犯罪被害者の遺族は、加害者に対しての復讐が合法的に許される「近未来?の戦時下・日本」が舞台。主人公の叶は、自分の存在を周囲の人間に悟られないようにする特殊な「擬態能力」を持つ「敵討ち代理人」。被害者の遺族の代わりに「復讐・敵討ち・当然、殺人」を請け負うのが「敵討ち代理人」で、ビジネスとして「事務所」に属して「仕事」をこなしていく。国選弁護人ならぬ「国選警護人」の存在が、建て前としては、敵討ち代理人の「障害」となるはずだが、実際は有名無実。
 常識的には「異常・?」と思われるキャラクターが若干名?登場し、ダークな雰囲気の画風と相まって、異様な作品世界を展開します。
 
 「必殺仕事人」的なカタルシスが得られる作品と思われるかもしれないが、その手の「カタルシス」からは、ほど遠い作品だと思います(少なくとも自分にとっては)。主人公の叶は、一般的な常識の埒外で生きている男で、精神に疾患がある?とさえ、ワタシなどは考えてしまいます(少なくとも、ワタシは感情移入できない主人公です・苦笑)。
あくどい犯罪の描写やバイオレンスな場面が多く、陰惨な印象さえ有りますが、文句無しにスリリングで面白く、グイグイ惹きこまれます。多くの読者がこの作品に何を求めているのかが、個人的には気になりますねえ(中年オヤジ的発言です・苦笑)。今後、ますます住みづらい世の中になっていくんでしょうかねえ・・・と悲観的な気分にさせてくれます(苦笑)。
 
 この作品を初めて読んだ時、呉智英氏が「死刑廃止で仇討ち復活」的なことを書いていたのを思い出しました。呉氏は(近年は知りませんが)自らを「封建主義者」と呼んでいました。

     
敵討ち法成立の背景には、犯罪者が増えすぎて刑務所がイッパイになってしまったということがあるらしい・・・ということが、作中で語られますが、理解しにくい犯罪が増加し、今後も加速的に増加しそうな気配がある昨今、この作品は不気味な意味合いを持ってきます。

 どのように、「決着」を付けるのか、気に成りますねえ(苦笑)。まあ、決着めいたモノは付かないで終るんだろうなあ、と予想していますが(苦笑)
。映画化したのですが、未見です。どんなんなってるんですかねえ?苦笑



松本次郎著 
小学館ビッグコミック
スピリッツ増刊「IKKI」
で2001年連載開始

単行本は
2007/9現在9巻まで刊行。

画像は1巻
(2003/9/1初版1刷)
B6版(イッキコミックス)
奇子(あやこ)・手塚治虫
 手塚さんの作品について、何か書くということは、たとえWebという限られた場所(いやWebだからこそ?)であっても、ある種の覚悟を必要とします。狂信的とでも言うべき素晴らしい熱狂的なファンの方がたくさん居られるから。ワタクシが大好きな某マンガ家について、ファンならではの「一種の苦言」を気軽に書くのとは大違いでです。
 
 民主主義(デモクラシー/イズムは入ってないけど何故か「主義」)が多数決原理を基本としているように、常に世界は多数派を中心に動いている。残念なことに?、生活の場において、「少数派」であることが、多いワタクシですが、マンガファンとしても、やっぱり少数派であることが多いのでした(苦笑)

 それで、この「奇子」ですが文句無しに面白い作品でした。
下山事件などの戦後の昭和史・事件史をたくみにアレンジした社会情勢を背景に物語は始まり、近親相姦、異常な不義、尋常では無い「家・イエ制度」という複雑にして奇怪な人間模様が描かれます。「反・近代」「反・理性」とでも呼びましょうか、とにかく「良識」を逆なでするようなトピック満載の作品だと思います。

 「出自」問題というのは、「文学作品」の大きなテーマの一つなわけですが、娯楽作品としての要素が強い「マンガ」でここまでヤレルのだから、手塚さんはやっぱり「マンガの神様」だなあ、と改めて感慨です。
 雑誌連載中は「人気作」として評判良かったのかな?ということが気になります。


 

画像は角川文庫版(A6)
の上下2巻
平成8/6/25初版
2007/10/8up(作成2005〜2007)
ハクダイのカカク