石川フミヤス

1.さいとう・たかをの陰に隠れた奇才、石川フミヤスに迫る


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石川フミヤスとは……?

石川フミヤス……その名前は、熱心なさいとう・たかを作品ファン、あるいは「ゴルゴ13」ファンにとってはおなじみの名前かもしれない。さいとう・プロの主要作画スタッフとして長きにわたり活躍し、世間的な知名度こそ高くはないかもしれないが、日本のコミック文化を支えてきた功労者の1人であることは確かな事実である。しかし、石川フミヤス氏があの「劇画工房」の同人の1人であったということは、あまり知られていないように思われる。

(1)石川フミヤス略歴

*1937年(S12)4月24日、京都府京都市に生まれる。本名は石川文康。
*1956年(昭31)12月「復讐の鬼」(八興、後の日の丸文庫)でデビュー。
*1958年(昭33) 「関西漫画家同人」の一員として精力的に活動。
*1959年(昭34)「劇画工房」に参加。同年4月に京都より上京し国分寺にて制作活動に入る。
*1960~1964年(昭S35~39)頃、この時期についての詳細は調査中だが、おおよその事実としては、
 ①さいとう・たかをによる「さいとう・プロダクション」に加入
 ②石川フミヤス名義で貸本マンガを多数発表
 ③結核が再発したため療養を余儀なくされ、マンガ製作の場より離れる時期があった
*1965年(S40)頃~2014年(平26)、さいとう・プロダクションの作画スタッフとして作品制作の一翼を担う
*2014年(平26)11月24日永眠。

(2)活動歴概要

◎石川フミヤスのこれまでの60余年に及ぶマンガ家業をまとめれば、次の3点に要約されるであろう。また、石川文康名義の作品も散見される。

「貸本時代」は「石川フミヤス」単独名義での作品が数多くある。

②貸本マンガ業界の衰退~壊滅(昭和40年代初め頃)以降、「さいとう・プロ」が雑誌へ活動を移してからは、「さいとう・プロダクション」作品の作画スタッフとして名前がクレジットされるのみの場合が多く、「石川フミヤス名義」での作品は少ない

さいとう・プロダクションの作画スタッフとして、長きにわたり活動。ゴルゴ13の作画担当のチーフとして、ゴルゴ13の連載開始時(1968年(昭43))より2014年まで、若干のブランク(主として体調不良が原因であると思われる)はあるものの、45年以上にわたる長い期間活動していたことは驚異的であるといえよう。尚、ゴルゴ13をはじめとするさいとう・プロ作品の作画担当チーフとしては石川フミヤスの他に武本サブロー(故人。1941~2008年(昭16~平20))、甲良幹二郎(1944年(昭19)~)の2人の名が良く知られている。

石川フミヤスに関する主な資料

(1)Wikipedia

残念ながら、石川フミヤスの業績を紹介した資料はあまり多くはない。しかし、Wikipediaを見ると、限定的ではあるが一部のマンガファンにはよく知られた存在であることがわかる。Wikipediaの記載内容については、事実誤認の部分が若干あると想像しているが、当方も正確な情報を持っていない。今後は、正確なデータが流布するようになる事を切望する。

(2)劇画・マンガ家オール名鑑 1979年(昭54)版/徳間書店

 ◎やや古い資料であるが、この290pに及ぶムック本中、「劇画・マンガ家グラフィティ」の項で、石川については1ページ分の記載がある(184p)。この中で、代表作としては次の2作品が揚げられている

 ①「かまり弁天」
 脚本・宮崎惇1974~1975年(S49~50)頃/週刊漫画TIMES/芳文社 

②「いくさ餓鬼」
 脚本・沖吾郎1975年(S50)頃/週刊漫画TIMES/芳文社 

石川フミヤスのページ。石川氏を知る上で貴重な資料となっている。
石川フミヤスのページ。石川氏を知る上で貴重な資料となっている。

 (3)映像資料

①辰巳ヨシヒロへの石川フミヤスの御祝いコメント(2013年(平25))/YouTubeより

公開日が2013年8月18日であることからこの月(8月)に収録されたものと推測される。2013年8月に京都シネマにておける「映画・TATSUMI 漫画に革命を起こした男」の一般公開に先立って辰巳ヨシヒロへの「お祝いのコメント」として収録された動画である。

②NHKテレビ/『探検バクモン DEEP INSIDE』(案内役:爆笑問題)

・2013(平25)年1月16日(水) 「ゴルゴ13の秘密基地に潜入せよ!」
・同1月23日(水) 「ゴルゴ13の秘密基地に潜入せよ!」(完結編)

番組中、石川フミヤスが取材を受ける場面がある。また、さいとう・たかをが、「かつての仲間たちと一緒に撮影した、当時の写真」として、劇画工房8人全員が揃った写真も紹介される。当然ながら、その写真の8名の中に石川フミヤスの姿もある。テレビを見ているほとんどの人にとって、さきほど紹介された「現役スタッフ」がその写真に写っている1人であるなどとは想像も出来ないであろう。

(4)作品を論じた著述等

活動歴の長さを考えると極めて少ないと思われる。 そんな状況下、次の論考は石川フミヤス氏の貸本マンガ時代の業績について、丁寧に論じている。

貸本マンガ史研究研究第12号』「青春の描き方 石川フミヤス作品の有効性について」
 ちだ・きよし著/全8p/2003年(H15)月発行/編集(貸本マンガ史研究会) 

 この論考を拝読すると、貸本時代の石川作品の多くが「青春物」であったことがよくわかる。
 また、ちだ氏は下記書籍に含まれる権藤晋氏による石川フミヤス氏に関する論文についても言及している。

  『劇画の思想』
 石子順造、菊池浅次郎、権藤晋共著/太平洋出版社/1973年(S48) 

(5)インタビュー

下記書籍に収録されている石川氏へのインタビューは資料として大変貴重かつ重要である。

「国分寺と劇画工房」
 収録:「隣室の男―松本正彦『駒画』作品集」/小学館クリエイティブ/2009年(H21)6月 

聞き手は松本正彦氏の長男である「松本知彦氏」(2006年(H18)3月27日収録) 。松本正彦作品集のためのインタビューということで松本氏の話題が多いが、石川氏自身についてのほか、劇画工房同人をはじめとするマンガ家の話題などもあり、資料性の高い内容となっている。